家庭と保育施設で子どもの姿が変わるのは自然なこと[day48]

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保育園で聞く子どもの姿が家庭と違う

家ではやんちゃで甘えん坊なのに先生からはしっかりものと言われる

保育園での姿は子どもが無理をしているから?

先生はいい所だけ取り繕っているのでは?

こんな、疑問や不安を感じている方、結構多いのではないでしょうか?

結論から言うと、家庭での姿と、保育園などの家庭外での姿が異なるというのは自然なことで、全く問題のないことです。

ですが、あまりにも家庭と保育施設での姿にギャップがあるとビックリしてしまうのも理解できます。

今回は、子どもの姿が家庭と、家庭外で異なる理由について解説です。

今日のポイント

この記事以後まで読むことで以下のことについての理解が深まります。

  • 家庭とそれ以外で姿が変わる理由
  • 子どもの見せる姿にギャップがあることをどう受け止めれば良いのか?

では、さっそくいってみましょー!

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子どもの姿は家庭とそれ以外とで違って良い

はい、みなさんこんにちは!保育士りゅう先生です。

ちょっとサイトデザインで迷走しているのですが、暖かい目で動向を見守って貰えたら嬉しいです。

さて、今日は保育園や託児所など子どもを預けている方向けになってしまうのですが、

家庭での子どもの姿と、保育園や託児所で先生から伝えられる子どもの姿に違いがあることについて解説していきます。

冒頭でも言ったように、この姿の違いというのは見られて当然なことでさ、違いがあることも自然な姿になります。

もちろん、性格的な理由だったりで、あまり変化が見られない子も少なからずいます。

こちらも、不自然なことではありません。

人間は誰もが各コミュニティで役割を演じる

なぜ、子ども達の姿に違いがあるのかと言うと、それぞれの場所(各コミュニティ)で自分の役割(ペルソナ)を演じ分けているからになります。

これは、子ども達だけでなく、私たち大人も一緒です。

家庭での自分、会社での自分、友人といる時の自分、実家での自分、それぞれの自分の姿に適した役割を演じていませんか?

演劇を思い浮かべてみましょう。

『家庭』という舞台で「その家の子ども」を演じる場合と、

『保育園』と言う舞台で「〇歳クラスの子ども達の中の1人」を演じる場合とがあれば、おのずと姿は変わってきます。

役割が異なるのだから、演技する姿もまた変わるのは、自然なことですよね。

その、演劇という例えの中の演技の部分こそが、それぞれの場所で見せる子どもの姿と捉えると少し想像しやすくなりませんか?

もちろん、子ども達は、意識的に演技をしているわけではなく、

無意識に感じるその場所での役割や、子どもなりに 意識している姿、無意識にも影響する姿があって、それが自然と生活に現れています。

それが、家庭とそれ以外の場所での子ども達の姿の違いを生み出している要因の一つになります。

子どもの姿のギャップをどう受け止めたらよいか?

場所が変われば子ども達の姿は変わります。

他にも、その日の体調や、その場所の雰囲気の違い、その時々の空気感、安心できる存在がそばにいるか?いないか?

ありとあらゆる、人的、環境的な要因で子ども達の姿も変わります。

では、そんな子ども達の姿にあまりにもギャップがある場合はどう受け止めれば良いのでしょうか?

答えは簡単で、どちらもその子の姿です。

家で活発な姿も、保育園で寡黙な姿も、どちらもそのお子さんが持つ1つの側面です。

どちらか1つが本当の姿で、どちらかは無理をしている、と不安になることがあるかもしれませんが、基本的には姿の違いは好意的に受け止めて良いと思います。

活発で少し乱暴だと思っていたけど、寡黙な面があったり、小さい子に優しくすることもできたりするんだなこの子は。

家庭だけでは、全部見ることの出来なかった、お子さんの色んな側面を発見できることを喜んで欲しいなと思います。

保育士は子どもの姿のどこを見ているか?

家庭での姿と保育園での姿に違いがある場合、保育士も基本的には先程お伝えしたように、好意的に姿の違いを受け止めます。

ギャップがあってもそれが自然だし、その自然な姿を家庭に伝えるのが保育士の役目なので、家庭での姿と保育園での姿に違いがあっても保育士が問題視することはありません。

もし、保育士が子どもの姿で注視する部分があるとすれば、例えばそのひとつには「分離不安」があります。

分離不安というのはママパパなどと、離れる歳に感じる不安感のことで、すごく自然な反応になります。

ママパパと離れて生活をすることになると、子ども達は不安で激しく泣いたり、なかなか笑顔が見られなかったりします。

それでも、保育施設には楽しいことをたくさん知っている先生がいて、一緒に遊べるお友だちがいて、家よりも多くの玩具があるので、

しばらく泣いて、相性の良い先生の元で落ち着くことができると、多くの子は日中楽しく遊べます。

もちろん、寂しさが強い子は泣いている時間や、期間が長くなりますが、それでも1週2週とする内に慣れていくものです。

この「分離不安」が過度に強かったり、全く見られないなどの場合には、

愛着関係の形成に問題を抱えているケースも見られたりするので、保育士は注視する姿のひとつになります。

保育園に行くといつも激しく泣くとしても、日中に遊べていたり、食事やおやつが取れているならほとんど問題ありません。

一日中ずっと激しく泣き続けて、遊びや活動に参加できなかったり、食事や午睡にまで影響があるような期間が続くような稀なケースや、

分離不安が一切見られず、家族とのコミュニケーションが明らかに希薄といったケースのみの話なので、基本的には不安になる必要はありませんよ。

大人の仕事はどの舞台でも「主役」を任せること

今回は、家庭と保育施設などで子どもの姿に違いがあることについて解説しました。

場所や雰囲気によって色んな役を演じ分けるのは、人間が良好なコミュニケーションを取るために持っている技術のようなものです。

家庭で家族といるときの姿、保育園で子ども達の中にいる時の姿、習い事でコーチと向き合っている時の姿、

色んな姿は無意識にも、意識的にも子ども達がその場で良好なコミュニケーションをとろうとしている姿です。

なので、どちらが本物だとか、どちらかは無理している姿だと考えるのではなく、

子ども達がイキイキしているのであれば、されはどの姿もその子が持っている姿の側面になります。

なので、家庭でも、保育施設でも、子ども達を見守る大人がしなければならないのは、

どの舞台に上がった時にでも、自分という人生の「主役」を演じさせてあげられるようにサポートすることなのではないかなと思います。

難しいことかもしれないですが、一緒に頑張りましょう!

では、今日も一日お疲れ様でしたー!

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