ウクライナ侵攻について思うことはあるがどうすることもできない
子どもが関心を持っている
子どもに話すにはどうすればよいか?
そう感じている方が居たら、一緒に考えてみましょう。
ここでは正解は出ませんし、そもそも正解というのがあるのかも分かりません。でも、正解のないものだからこそ、考える必要のあることなのかなと思っています。
ウクライナ侵攻について記事を読むだけでも辛いという方は、どうぞ無理をせず今は画面を閉じてくださいね。
今日のポイント
- ウクライナ侵攻について個人的に感じていること
- 国家と首長と国民を分ける考え方について
- どれだけ想像力を駆使しても当事者の辛さとは乖離がある
長くなるかもしれませんが、考えていきましょう。
特定の国家を賛否する意図はありません
今回の記事は、特定の国家や国政のあり方について非難する意図はありません。
このことについて了承いただける方のみ、続きを読み進めてもらえればと思います。
ウクライナ侵攻について個人的に感じていること
ロシア軍によるウクライナ侵攻という衝撃のニュースが耳に入ってから、悲劇的な情報は絶え間なく続いていて、ひと月以上が経った今日も軍事衝突は続いています。
亡くなられた一般市民の方はもちろん、兵士として殉じられた方々のご冥福をお祈りします。
今回の侵攻では、情報統制を目的としたロシア国内のプロパガンダと、
一部のロシア軍による非人道的な行為に注目が集まっています。
ただここで単純に考えてはいけないのが、戦時下に公表される情報には必ず意図があることだと思っています。
誤解を恐れずに言うならば、ウクライナだってプロパガンダを国内外に向けて行っているという可能性を忘れては行けないということです。
すごく辛いですけどね。市民が虐殺されている側が嘘を言う理由はない!と僕も無意識に思いたくなりますが、やっぱりそれはまだどこか他人事だからなのだろうなと反省します。
大事なのは、情報を精査する時には心を鬼にしてニュートラルな目線で、
ロシア側の情報もウクライナ側の情報も、日本を含んだ非当該国の情報もよく読みといて、その上で考えることだと感じています。
子どもたちと話すべき?
例え現場にいても保育園でこの話題を子どもたちと話すことはないと思いますが、小学生であれば関心を抱く子も増えてくるでしょうし、
中学生や高校生、大学生となれば自分なりの考えがあったり、教育の一部として扱うテーマになるのかなと思ったりします。
子どもたちから遠ざけたい悲惨な話題ですが、いつかは子どもたちも社会に出て目を背けることが出来なくなりますし、もしかしたら間接的に国家間の衝突に関わることがないとも言いきれません。
そうなってから慌てて情報を集めたり、世界のあり方を調べたり、歴史を学ぶのでは遅すぎることはありませんが、十分ではないと思います。
なので、やはり子どもたちが関心を持っているのであれば、関心がある内に一緒に考えてみる機会を設けるのが良いのではないかなと思います。
ただ、いくら必要な機会とはいえ、やはり精神的なストレスも強い話題だと思うので、子どもたちの心身や、一緒に話をする家族それぞれの心身の状態には十分に留意する必要があります。
戦争は悪と言えるのは平和だから
「戦争が悪だ!」と断言出来るのは、平和な国に生まれ育ったからこその恩恵なのではないかなと思ったりします。
平和ボケという言葉はあまり好きではありませんが、平和ボケできる環境にあることについては感謝しなくちゃいけないなと感じます。
だからと言って戦争は必要な行為だとも思いませんが、国家規模で考えると自国を繁栄させる為、自国を驚異から護るために必要になる時があるというのは考え方の一つとして理解できます。
でも、それで市民を犠牲にしていいなんてことは絶対にないし、徒に他国の兵士を殺していいことにもならないと思うわけで、難しいなと思うのが偽りない本音です。
個人的に思うのは、この難しい、分からない、ということを子ども達に素直に伝えることも重要だということです。
大人でも分からないことがあるし、だから勉強が必要で、情報を集めて、情報を吟味する必要があって、答えが出ることもあるし出ないこともあるけど1度自分の頭で心で考える。
こうした経験の大切さを伝えていくことで、子どもたちの自主性であったり、思考する力を養うことになるのではないかなと思っています。
国家と国民を分けて考える
今回で言うと、ロシアがウクライナに侵攻したのは事実でも、多くの国民は戦争なんて望んでおらず、国家と国民とは切り離して考えるべきだということが言われています。
これはきっと重要な考え方で、国家としてのロシアがウクライナに侵攻したけれど、ロシア国民の中には侵攻に反対している人もいる、というニュートラルな事実を受け入れやすくなります。
ただ、やはりそう簡単なことじゃないんだろうなと感じるのは、家を失ったり家族を失ったウクライナ人の悲痛な叫びや、ロシアに対する憎しみは確かにある中で、
果たして大切な国、街、家、家族を奪われた人が、国家と国民を本当に切り離して見ることなんてできるのだろうか?と思ったりします。
頭では、理性では国家と国民を切り離すことができたとして、実際にその国家に属する人を見た時に、家を破壊した、家族を殺した兵士の面影をそこに見ないということは不可能に近いんじゃないかなと思ったりするわけです。
憎しみの連鎖はどこかで断ち切らなければいけない。というのは歴史の中で見出されてきた考え方ですが、それを当事者の1人として遂行できる人ばかりではないと思います。
人間はそれほど効率的に思考するようにはできていないし、ある種非情にもなれないし、ある種寛容にもなれないと思うんですよね。
教育としては国家と国民を切り離す必要性を伝える
じゃあ、子どもたちと話す時に何を伝えるのかと言うと、合理的な考え方の1つとして国家と国民を切り離して考えることの重要性は伝えていく必要があるのだろうなと思います。
その上で、子どもたちがどう感じるのか、どう向き合っていくのかを見守っていくのが重要なのだと思います。
どれだけ想像力を駆使しても当事者の辛さは分からない
人は他人を理解するために想像力を使うことができるようになっていますが、どれだけ想像力を駆使してもやはり当事者の辛さを本当に理解することはできないんですよね。
そう思ったのが、ロシア生まれで日本で育ったタレントでコラムニストの「小原ブラス」さんのある番組でのコメントがきっかけでした。
その番組では国外で生活するロシア人やウクライナ人を交えて、ウクライナ侵攻について討論するもので、
そのひとつのコーナーとして、街頭インタビューで日本の若者にウクライナ侵攻についてどう考えているのかを聞く場面でした。
僕は個人的には、数人の若者の意見を聞いて、やはりどこか他人事になってしまうような部分は見られるものの、それぞれの中で向き合おうとしているのが感じられたので、
「少し酷なインタビューだな。でも若い子も関心を持とうとしている姿勢かあって良いじゃないか」
そう思っていました。
しかし、同じインタビューを見聞きしたブラスさんは「他人事としてしか考えられていない、すごく思慮が浅くて甘い」というような意見を仰られていました。
ブラスさんは日本に帰化しているロシア人ですが、知り合いや家族はロシアで暮らしている人もいます。
ロシア人の血が流れている1人として、今回の侵攻は許せないと公言していて、YouTubeでの収益をウクライナへの支援に当てていたり、日本国内のロシア人へ呼びかける運動も積極的にされています。
そんなブラスさんだからこそ、日本の若者へのインタビューに思うことがあったのだと思います。
ブラスさんの考え方は素晴らしいです。積極的な活動、歴史も含めてすごく勉強した上で意見を述べているとこ、本当に凄いなと思って陰ながら応援をしています。
ですが、そうしたバックボーンがあるブラスさんと、日本で生まれて日本で育った多くの若者が同じ感性で考えるというのはやはり難しいと思うんですね。
そして、ここからは想像に過ぎないのですが、ブラスさんとロシア国内で暮らす方にも隔たりは存在して、当事者であるロシア国民とウクライナ国民の国民の中でも考え方や、感じ方には隔たりがあるものだと思います。
だから、他人事で無関心で良い。と言いたいわけでは勿論なくて、
それぞれのバックボーンが異なっていて、情報と触れる機会に差があって、関心の深さに違いがあることは当然のこととして。
それぞれの立場や考え方の中で、少しでも当事者に寄り添えるように想像力を働かせる。というのが大切なのだろうと思いました。
一刻も早く終結して1人でも多くの命が救われますように
本当にまとまらない記事になってしまったなと反省しているのですが、
国際社会の一員として無視できない事態から目をそらさないこと、自分の中で情報を精査したり、どう考えるのかを大切にすること。
もし、お子さんと話す機会があるのであれば、心身に配慮しながら無理のない範囲で真剣に向き合うこと。
こうしたことが、今誰にでもできる大切なことなのかなと思います。
それに加えて、色んな形での支援ができる方はそれぞれの裁量の中で支援されるのでしょう。
平和ボケで月並みな願いになってしまいますが、
1日でも早く今回の軍事衝突が終結すること。これ以上人の命が奪われないこと。国外へと避難した人々が自分の街に戻れること、少しでも早く再興されること。を願っています。
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