『叱らない保育論』・・・【一章】叱れない親からの脱却マニュアル
・・・・・・子どもとの理想的な関わり方ーファシリテーションー
子どもを取り巻く環境の変化に目を向ける
子どもを取り巻く環境は、目まぐるしく変化をしていきます。同じように、親子間の関係性についても変化が起こるのは自然なものです。しかし、昨今の家庭内における問題を見ていると、望ましい親子の関係性を持つことができていない家庭が散見されるようになってきているように思うのです。
不良行為を耳にする機会が減ったようにも感じますが、依然として問題視されていることに変わりはありません。相対的に減ったように感じるのは、それ以外の子ども達を取り巻く問題が増えたからなのでしょう。例えば、小児の精神疾患や引きこもり、勉強格差、貧困、IT格差なども、近年になって明るみに出てきたもので、メディアでも頻繁に取り上げられる問題となってきました。
これらの問題には、子ども達を取り巻く”環境が要因”となって表面化するものが多くあります。子ども達を取り巻く環境とは、社会全体における環境や、学校や塾などのコミュニティー、友だちや、家族などの人的環境を含むものです。これらの環境要因を取り除くことは難しいですが、少しでも子ども達の負担が軽くなる様にケアをすることはできます。
そうしたケアに関しては専門家よりも、もっと近しい大人が問題の種が大きくなる前に早急に対処することが大切でになってきます。親子関係の重要さは今も昔も変わりません。子どもとの理想的な関わり方に焦点を当てると、個としての子どもを認め、必要分の支援を行うことが大切です。一番の理解者であり、子どもに寄り添う支援者ーファシリテーターーとなる。親子の関係性における望ましい形の一つかなと思います。
他方で、望ましくない関係性である「過保護」、「過干渉」そして「無関心」があげられます。過保護や過干渉は、子どもを想い良かれと思って行ってしまうことが多いですが、愛情の伝え方を間違えているだけなので改善の余地が大いにあります。しかし、無関心が過ぎるとそれは「ネグレクト」という新たな問題に発展しかねないのは忘れてはいけません。
今よりも一歩寄り添うファシリテーターとしての親子の関り
子ども達を取り巻く環境や、時代の変遷。それらがもたらすデメリットや、新たな問題の種を振り払うことができるのは、多くの場合は身近な大人であり、ママパパです。ですが、ただ見守るだけでは足りないことがあり、過度な干渉もまた違った問題を引き寄せることになります。
では、丁度良い状態で子どもと関わるにはどうしたら良いのでしょう?親子関係は様々で、決まった正解というものはありません。ですが、今の時代に適した形というものは、その時代時代に存在するものであると思っています。
当たり前なことですが、子ども達は親の所有物ではありません。親の生まれ変わりでもなければ、親の人生の後悔をやり直す為のツールでも勿論ありません。
こう書いてしまうと強い言葉が並んでいるので、極端な思想のように感じるかもしれませんが、こうした一見自分勝手な考えに思える気持ちの根底にも、我が子を想う親の姿があるものです。しかし、期待もプレッシャーも理想も、程よければ恩恵もありますが、過度になってしまうと子どもの負担になってしまいます。それに、親子の関係性そのものを壊しかねないリスクをはらんでいることには、十分注意をしなければなりません。
近年、保育者やコーチング・コンサルタント業を行っている子育ての専門家の中で、注目されている考え方があります。共に課題を解決したり、よりよい方向へと導くための支援者としての在り方「ファシリテーター」という立ち位置です。
ファシリテーターとは端的に言うと”支援者”です。指導者でもなければ、ご意見番でもありませんし、評論家とも批評家とも違います。共に歩む支援(ファシリテーション)的な関わり方が大切であると、見直されているのです。
このファシリテーターという立ち位置は、保育者などの特定職種のみに限定された考え方ではありません。こと親子関係においても、望ましい形の一つになり得るものです。ただの保護者・養育者から一歩子どもに歩み寄ってみる。子どもを認め、必要な援助をし、時としてケアをしていく、こんな関係が望ましい親子関係の一つの形なのです。
我が子を「クライアント」と言ってしまうと違和感がありますが、共に人生をより良い方向へと歩んでいく手助けをする関り。過度なプレッシャーを与えるでもなく、親が将来のレールを敷いてしまうのでもなく、共に寄り添い必要な時に必要な助力をする。時には困難に直面した子ども達を見守り、溺愛するでなく愛情を真摯にそそぐ。すごく、スマートな関わり方だなと感じます。
「過保護」は愛情のスケールではない!
親が子を想うあまりに、子どもの成長に繋がる困難を親が振り払ってしまったり、護りたいという気持ちが屈折してしまって、外部との関りを親が仕分けしてしまうことがあります。こうした、過度な干渉や保護のことを「過保護」と言いますね。
過度であっても子どもを守りたい一心なのだから、好ましくない部分はあったとしても非難されるいわれはない。そう感じる方もいるかもしれません。ですが、保護と言う言葉が使われていることで、愛情のスケールの大きさであるように感じてしまいますが、やはり子どもの成長を阻む行為は望ましいものではありません。
そうです、「過保護」とは、愛情の大小を表す言葉ではなく、親子関係における屈折してしまった関りの一つなのです。
過保護とは読んで字のごとくですが、過度な干渉によって子どもを保護しようとしてしまう関わり方です。では、過度とはどの程度から言うのかというと、一概にこの程度の考え方を持っていたり、こんな行為をしていたら過保護ですと定義はできません。なぞなら、各家庭における家族の関係性によっても差があると思いますし、同じ程度であったとしても、その子どもにとっては過度と感じる場合もあるかと思います。
過保護は、親子の関係性において望ましくありません。いきすぎた気持ちは、子どもの成長のきっかけを失わせてしまったり、困難を乗り越えた先に本来はあるはずだった成功体験そのものを奪うこともあります。改めて言いますが、過保護とは愛情の大きさを表すスケールではありません。溢れる愛情も、いざ行動を伴う時には無差別に注げば良いものではないのです。
総じて言えるのは、その子にとって自主性をもった活動が制限されてしまったり、その子にとっての成長のきっかけを失わせてしまう状態を「過保護」と言って差し支えないでしょう。そうすると、各家庭による若干の差があることも納得できますし、ある程度の一般的な線引きというものが見えてきます。
子ども達に愛情をそそぐことは大切です。ですが、無差別にそそいでしまえば、子どもの成功や成長を阻害してしまうリスクがあり、過ぎた愛情表現は、”ある種の暴力”にもなり得ることは胸に刻んでおきましょう。
「叱る」というコミュニケーションを見直す
この本のタイトルは『叱らない保育論』です。まえがきでも少し触れましたが、叱ることが全てダメだと言うつもりは毛頭ありません。何故なら、叱る必要がある時に、叱ろうとしない、または叱ることができないことは大きな問題だからです。
叱り方が分からないという場合もそうですし、何をしても叱ることを忌避するかのような関わり方は、どう考えても歪つです。極力叱る状況にならないように見守り、もしもの時にはしっかりと腰を据えて話をする。これが、本来の親子関係の姿であり、大人と子どもとの望ましい状態だと言えます。
「叱る」という言葉に、どうしてもネガティブな印象を受けてしまいます。人は極力なら叱られたくないと思っていますし、叱られることを回避する為に社会的に望ましい行動を取ろうと意識して活生活をしています。また、叱れると落ち込むこともありますし、時には傷つくこともあります。
では、「叱る」という行為は悪でしょうか?
この問いに対する答えは、改めて言うまでもなく、皆さんも必要性について理解していると思います。そうです、叱ること自体が悪ではないのです。
叱ると言う行為は、確かにネガティブに受け止められてしまう面があります。しかし、叱る状況というのは、何かしら社会的に望ましくない行為であったり、親子間での約束を守ることが出来なかったり、意図せずして他人に迷惑をかけてしまったりなど、子どもに一般的なマナーやルールについて教えたい時です。この機会に、子どもに知っていて欲しいことや、相手がどう受け止めるか、社会の目がどう見ているのか、様々な学びを与えてくれるものでもありますね。
このように「叱る」という行為は、実は一つのコミュニケーションであると考えられます。
コミュニケーションですから、お互いの意思の疎通がそこに存在していて然るべきです。一方が感情任せに怒鳴ったり、必要性の感じない罰を与えたりするというのは、相互のやり取りではありません。あくまでも、親と子の関係性の中で、叱ることを通して学びや発見がなければ、本来のコミュニケーションとしての「叱る」という行為は成り立たないのです。
今と少し先の未来を見つめて
親子の関係性として、子どもの存在そのものを認めて、寄り添って歩んでいく中で、時として子どもの学びに向かって援助をしたり、指導をしたり、「叱る」というコミュニケーションも重要になってきます。
その際に、どこに目を向ければ良いのかについて、個人的には「今と少し先の未来」を見つめることが大切だと考えています。過去はわざわざ見なくても良いと思いますし、未来だけを見ていても子どもの成長を促すことは難しい部分があります。今をしっかりと見つめながら、ほんの少し先の子どもの姿を思い浮かべる。このくらいが丁度良いのかなと思っています。
子ども達は、刻一刻と成長をしていきます。目まぐるしい速度でありながらも、着実に、今から未来へと向かって連続した成長をしています。この記事を読んでいる最中にも、子ども達はしっかりと自分で課題を見つけて成長・発達をしているかもしれません。
子ども達の成長を感じ取れていますか?昨日できなかったことが今日できるようになっているかもしれません。昨日はすぐに興味を失ってしまったことに、ほんの少し集中する時間ができているかもしれません。目に見えないけれど、身体の中では神経系や免疫系が強く逞しくなっています。
子どもを見守るというのは、こうした成長や発達に見つけることであり、努力や興味関心に気付いてあげることです。ただ一緒の空間に居るだけでは、発見することが難しい子どもの成長を、今この瞬間を共有することが重要なのです。
そして、子ども達が歩んでいく未来も少し感じながら、そこに向かって一緒に遊び、学び、手助けをする。その為には子どもの今を見つめることが必要で、成長や発達についての知識というものも学んでいく必要があります。
ただの保護・観察者から、支援者の立ち位置を意識するだけで、子ども達の成長を感じ、一人の人間として認めることができます。その上で、次の課題を見つけて一緒に取り組み、試行錯誤をしながらも、課題を解決した時に喜びを共有することができます。一緒に寄り添う支援者だからこそ、見つめていけるのが日々の連続した成長なのです。
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