[テーマ:その他]選挙に参加する本当の意味を考える[day27]

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はい、みなさんこんにちは!男性保育士のRyU先生です。

番組批判をしたいわけではなくて、あるお笑い芸人が司会を務める報道番組(?)の中で、選挙の参加意義について触れる場面がありました。

参加しても結果が変わらないからいかない。いく意味が無いという趣旨の話に対して、

ほとんどのコメンテーターが共感していて、だったらこの話は触れなければよかったのに。と率直に思いました。

結果を変えようと行くから、分母で負けて、勝手に失望するわけで、

行くことによって、わずかでも割合が変わって、どの政党が支持されて、どの政党が支持を下げたかというデータを積み重ねる為に選挙に参加するのだと思っています。

その積み重ねだけが、後々に政策に影響を与えることができる「民意の力」の強さじゃないのでしょうか。

今回は、ちょっと退屈かもしれないけれど、

若者・子育て家庭・マイノリティーなど、政治的に弱者とされる人の選挙参加について自論を話したいと思います。

では、さっそくいってみましょー!

選挙は重ねることで民意が反映されるもの

この記事の注意点

今回注意点からになります。

この記事はあくまでも僕(RyU先生)個人が選挙参加に思うことを述べるものです。

保育士としてではありませんし、選挙について特に詳しいというわけでもありません。

なので、「あー、こんな意見の人もいるんだな」くらいで受け止めていただければと思います。

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民意を反映するにも時間がかかる

選挙をする度にマスメディアを含めて声を荒らげることに、「今回の選挙は民意が反映されなかった」というものがあります。

落胆や怒りの気持ちがそうした、選挙後の非難になるのかなと思います。

まず、選挙や政策に民意を反映するのにも時間が必要だ。ということを理解して参加する必要があるのかなと思います。

なぜなら、どんな政策にも慣例と改革のバランスがあり、利益を得ている人とそうでない人がいて、限られた資金・時間・資源の中で実施できるかという実現性の問題などもあるからです。

どれだけ良い改革案があっても、それを議論して、利益を失う人を説得し、慣例と改革のメリットとデメリットを天秤にかけ、どの程度の割合で民意の賛否があるのかを見なければいけません。

これだけのことをするのに、1回の選挙の結果だけでバンバン政策が変わってしまったら、さらこそ割をくうのは私たち一般市民になります。

選挙は積み重ねていくことで、ゆっくり舵を取るものだと思います。

民意=一般市民の考えではない

選挙の中で国民の意見という意味合いで「民意」という言葉か使われますが、

これを安易に「一般市民それぞれの考え」と思うと、政治に落胆することになります。

選挙の中での「民意」は、「選挙に参加した人の意見」という意味で取るのが僕は適しているかなと考えています。

まずは、この考え方になっている人達に、選挙に参加しなければ民意として数えて貰えないことも伝えなければいけないと思います。

選挙不参加は不満な政策の後押しになる

「選挙に参加しない」ということを「今の政策への反対表明」だと、考えてしまいたくなりますが、これは明らかに間違っています。

選挙に参加しないということは、その人の意見は選挙中の「民意」に含まれないので、

結局は選挙に多く参加しているグループの主張、つまりは現行の制度で優遇されている人達の「民意」がより通りやすくなるだけです。

選挙に参加しないことは、政策に影響を与えないということではなく、

不満を持っている政策を影から支援してしまうことにもなりかねない、ということを意識しなければいけません。

選挙に参加してする具体的な目的

市民が選挙に参加する最大の目的は、やはり「時代に適した政策」や、「自分たちに主に関わってくる制度の改善」、その時に「冷遇されてしまっている人達への待遇の改革」こうしたものだと思います。

少ない知識で具体例を出すなら、時代に適した政策は「夫婦別姓制度」や「皇室の在り方」への議論だったり、

自分たちに主に関わってくる制度としては、「子育て家庭への支援に関する所得制限の是非」だったり、

冷遇されてしまっている人達への待遇の改革としては、「LGBTQなどのマイノリティーと言われる方達の結婚制度」についてだったり、「1人親家庭の支援の強化」だったりがあるかなと思います。

1回の選挙では政策はなにも変わらない

選挙では全ての一般市民の意見が汲まれるわけでなく、選挙に参加した人の意見が「民意」として、ようやく数で戦う民主主義のテーブルにつきます。

なので、1回の選挙で政策が変わることなどありません。

もし、大改革があったのなら、それはその改革に至るまで必死で選挙に参加して声を上げ続けた人達の「民意」の積み重ねが、その時に実ったということです。

それからもう1つ大切なのが「多数派の意見だけが尊重されると決まっていない」ということも、選挙に参加することへの勘違いであり、大きな意味かなと考えています。

多数派の意見だけが尊重されると決まっていない

日本は民主主義で、政策を決める人も選挙などの多数決で選出します。

なので、分母の数が大きいことは絶大なパワーといえます。

お年寄りの方が若者より人口が多いので、お年寄りの意見が通りやすい。これは、確かにあります。

ただ、分母が少なくても、その中の割合がすごく大きいと、なかなか無視できないことがあります。

お年寄りの意見と若者の意見では、数では勝てなくても、若者の意見の中で突出したものがあれば無視するわけにいかなくなります。

また、そうした選挙に参加した人の分母だけで政策の舵を取ってしまったら、日本という船はうまく時代の海を渡れなくなります。

日本の成長や安定のため、世界の流れ、なども政策に大きな影響を与えるからですね。

分母の力は確かに強いです。それは間違いのないことだと思います。

でも、それだけで決まるほど政策は単純ではなくて、優秀な頭脳や技術を持った人達が、

あるものでは数を参考にしたり、あるものでは割合を参考にしたり、未来を見据えていたり、世界の動きを注視していたり。

多角的な視点で、判断をしていくものだと思っています。

参加する、しないという視点は勿体ない

今回は、ちょっと思うことがあったので、選挙について僕なりの考えを紹介させてもらいました。

冒頭にも書きましたが、この記事はあくまでも僕個人の今の考え方です。

ですが、声を大にして言えるのは、

参加しなければ何も変わらないし、参加しても変わらないかもしれない、だけど参加し続けなければ変わる可能性も見えてこない。

これだと思います。

そう思うと、選挙が近づいた時の選挙に「参加する」か「参加しないか」という選択肢で迷うことはすごく勿体ないと思います。

できるまでやり続ければ、必ずできるようになる。

ここまで単純では無いですが、これまでの改革や改善はそうした人々の行動が実ったものだと思うと、

少し参加の意欲がわいてくるのではないかな、そう思います。

では、今日も元気に行ってらっしゃーい!

お休みの人はやっくり休もうねー!

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