認可保育施設のバスでの死亡事故に思うこと

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 認可施設のバスに園児が置き去りにされ、亡くなってしまうという大変いたたましい事故がおきました。亡くなったお子さんのご冥福をお祈りいたします。

 こうした事故は去年にもあり、大々的にニュースになって、再発防止に全国の施設が取り組んでいたはずです。その中で、またしてもあってはならない事故が起きてしまう・・・完全に私見になるのですが、思うところをつらつらと書いていきたいと思います。

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認可保育施設のバスでの死亡事故に思うこと

 はい、みなさんこんにちは、保育士りゅう先生です。

 今日は、表題にあるいたたましい事故と、その報道に関して思うところを書いていきたいなと思います。安全管理であったり、法律の専門家ではありません、ひとりの保育士として、一個人としての思いや考えをつづるものですので、こんな考えの人もいるんだな、程度に受け取って、ご自身や家族、施設で考えるきっかけにしてもらえたらと思っています。

今日のポイント

  • 説明責任を果たす・法で罰せられる、その後の糾弾に意味はあるのか?
  • 安全管理システム導入義務化などについて
  • 安全管理システムを導入・適切に運用する土台作りを
  • ヒューマンエラーは無くならないけど、生命に関わるエラーをしてはいけない
  • 保育園という狭い世界でありつづける限界

保育施設における命にかかわるリスクとは

 こうしたあってはならない事故に関しては、業種によってリスクが天と地ほど変わります。命に関わる仕事、それが直接的であるほどに、リスクは大きく、それゆえに専門的な資格や、業務に携わってきた経験などが問われるわけです。

 保育も命に直接関わる仕事の内の一つです。

 限られた時間とはいえ、子ども達を見守る中で命の危険は大げさでなく常にあります。本当に一部としては以下の様なことは命に関わるリスクになります。

  • 転倒
  • 誤飲・誤食
  • アレルギー・疾患
  • 乳幼児突然死症候群などの子どもならではのリスク
  • 交通事故
  • 怪我・病児対応
    など。

 こうしたリスク(一部ですが)がある子ども達に対して、数人の保育者で数十人の子ども達を見守るのが保育士の業務になってくるわけです。

 なので、子ども達の成長や発達について勉強しますし、安全管理の勉強もしていきます。特に安全管理に関しては施設の備品チェックだったり、日々の子ども達の健康記録だったり、監査があったりとどの園でも工夫をこらしながら務めているものです。

 子ども達が日々安全に過ごす。というのは当たり前なようで、実は全然当たり前なことではないんですよね。

 でも、それは預ける保護者や、生活をする子ども達には当然のこととして考えてもらえなければいけないし、保育園に預けている時間は安全で当然だと思ってしまうのは仕方ないことかなとも思います。

 そうした安心感も含めて、保育施設や託児施設の提供するサービスだと思うので。

 ですがもちろん、子ども達が生活するだけでもリスクはついてまわるので、保護者の方はそうしたリスクを頭の隅から消してはいけないのですが。

説明責任を果たす・法で罰せられる、その後の糾弾に意味はあるのか?

 今回の事故で報道が過熱していること自体は、再発防止であったり、今の保育施設の安全管理の在り方に関して考えるきっかけになるので良いと思うのですが、一部メディアではどうも糾弾することが目的になっている時もあるように感じています。

 説明責任を果たすと書いてしまいましたが、この辺は凄くグレーな表現かなと自分で思っちゃいました。何をどこまで明るみに出せば説明責任は果たされるのか?それって、個々人の価値観とか主観、文化や時代の風潮とかにもよるだろうから、全ての人に対して十全な説明ってほぼ不可能な様な気もするので・・・・・・んー。

 今回の事故が起きた保育園や事故の当事者となった人は法で罰せられ、信用を失い、子ども達の家族から糾弾されています。

 家族の怒りは真っ当なもので、個人的にはちょっと乱暴な意見ですが、満足するまで怒りや不信感をいうのをぶつけていいと思っています。本来は確保されるべき安全の確認不足で命が奪われたのですから、それだけのことをしてしまったと思うので。(もちろんそこから相手を貶めることが目的になったり、誹謗中傷や暴力などで訴えるのは違います)

 では、コメンテーターや関係ない第三者まで糾弾する必要はあるのかな?と思うわけです。

 第三者や有識者がすべきことは報道に加熱されて糾弾することではなくて、再発防止をするにはどうすればよいか?であったり、そもそもとして保育施設の今の在り方への是非の議論だとおもうのです。

安全管理システム導入義務化などについて

 安全管理システムはどんどん進化していて、午睡中の子ども達の状態をチェック・記録してくれるデバイスが導入されている施設もあったりします。

 今回の事故を起こした園でも、子ども達の登降園をチェックできるシステムを導入していたようですね。

 保育業の予算などについては全く分からないので現実的な意見かは分かりませんが、個人的には安全管理や子ども達の成長発達をサポートできるものに関しては積極的に導入していくべき、していかなければならないと思っています。

 なぜなら、ある保育園ではICT化が進んで、ある園では旧態依然のアナログのまま。これでは、全ての子ども達に平等にあるべき安全・安心感に格差が生まれてしまいます。すでに現在そうなってきているわけですが。

 ただ、最新鋭の安全管理システムばかりが取り沙汰され、そうしたシステムを全ての園で義務化していくべきと息を巻いて話すコメンテーターを見ましたが、導入予算であったり、導入後の指導や、他業務への一時的な影響を考えると、どこからそれらに関するお金が出るんだろう?国民全員が税金をそこに使っても良いとなるのか?と疑問符を打ちたくなりました。

 それに、システムがあっても、それを使う人間が正規の使い方ができないのでは、システムがあっても安全は確保されないことが、残念ですが証明されてしまった事故でもあったなと思うのです。 

安全管理システムを導入・適切に運用する土台作りを

 今回の事故で見えてきたことや、これまでの保育業のありようから感じるのは、そもそも安全管理システムであったり、業務効率化や負担軽減をするためのICT化への障壁があるなと。

 まずそもそもとして、保育施設に関わる人の数が適正なのかということ。これは、保育者の数だけでなく、看護師さんや用務員さん、給食の先生などの数も含めてです。

 それから手書き文化の廃止や、ICT化を進めることも急がなくてはいけない業種の一つだと感じます。

 どんなに素晴らしいシステムができたとしても、結局はそのシステムを運用するのは人です。勝手な使い方をしたり、人がチェックするべきところをチェックし忘れたり、「まあ今日はいいか」と思う人がいれば、その安全管理システムは力を発揮できません。

 電子機器や新しいデバイス、新しいシステムを活かす為の土台を早急に整えなければ、安全管理システムがどれだけ発達しても、結局はどこかでヒューマンエラーが起こってこうした悲しい事故は再び起きるリスクを抱えたままになってしまうのではないかなと思います。 

ヒューマンエラーは無くならないけど、生命に関わるエラーをしてはいけない

 人が人である以上は、必ずヒューマンエラーが起こりえます。

 その原因は勉強不足であったり、経験の不足であったり、ちょっとした油断であったり、過度な疲れかもしれませんし、昨晩しっかりと睡眠をとらなかったことかもしれないし、確認すべきことを確認しなかったことにあるのかもしれません。

 人が人である以上はエラーは起きるけれど、それが命に関わることであれば当然エラーは起こしてはいけないわけです。

 連絡帳を書き忘れてしまっても命に関わらないけれど、アレルギー食を確認せずに他の子に提供すれば最悪の場合には命に関わります。

 散歩で毎回点呼確認をしなければフラっと公園の外に出た子どもに気づけないし、プール遊びでは監視員としての役割となるサブの先生が雰囲気に流されて子どもと一緒に遊べば、溺れている子どもにすぐに気づくことができないかもしれない。

 アレルギーも点呼確認も、活動内での安全確保も意識的に行えばエラーは限りなくゼロにできるもので、そうした意識をもった先生たちが子ども達を見守ってくれていることで、今日も全国の子ども達が安全に生活して、笑顔で家庭へと帰っていくことが出来ています。

 ただし、どれだけ意識しても、それが命に関わることであっても、やっぱりヒューマンエラーはゼロにはなりません。そのことも含めて、全ての保育者や、保護者の方も忘れてはいけないのだと思います。

保育園という狭い世界でありつづける限界

 保育園は正直なところ閉じられた世界だと思っています。利用者である保護者の出入りがあるとはいえ、日中の様子は保護者ですら把握できません。

 先生が安全管理システムを確認せずに使っていても分からないし、虐待や体罰があっても子ども達がヘルプを出せなければ、そうしたことがあったことすらも明るみに出なかったりもします。
 これって凄く歪なサービスなのではないかと思うのです。

 もっと保護者が、適切な施設の運用がさているのかを確認する術であったり、プライバシーの観点などもあって難しいですが保育者を監視する何かシステムや構造も必要ではないかなと個人的には思います。

 理想論ですが、究極的には日中の様子を、保護者や第三者委員会などが、どの時間にライブビューイングしても問題がないような行動・関わりを保育者はしていなければいけないんだと思います。

 利用者である保護者は信用せざるを得ない状態で、第三者による監視がほとんどない。

 こんな閉じられた狭い世界で、保育はこれからも続くことに利用者や、生活する子ども達は本当に安心できるのでしょうか?

専門家としての意識、利用者としての意識が大切

 今回は、認可施設のバスでの死亡事故に関して書いてきました。冒頭でも言いましたが、僕は安全管理の専門家でもなければ、法律の専門家でもないですし、保育園の運営をしたこともない、ただのひとりの保育士資格保持者にすぎません。

 的外れな意見だったり、相容れない意見も多分にあったかと思うのですが、そうした部分もあわせて議論したり、自身で考えるきっかけにしてもらえたらなと思っています。

 結局のところ、ヒューマンエラーをゼロに近づけるには、命を預かる専門家としての意識を高めることが大切なのかなと思います。

 また、利用者として保育施設や先生が適切なものかを冷静に見つめる意識というのを、これからは保護者の方がもっていき、保育施設を一緒により良いものへとしていくことができるようになる必要があるのかなとも思いました。

 最後に、重ねてですが、亡くなってしまったお子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 

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