子育ては神聖なものだ
子育ては親に与えられた権利だから頑張らなくちゃいけない
子育てができない私は親失格だ
こんな風に考えている人も多いかもしれません。
ですが、こうした考えが行き過ぎてしまうと、それはあなた自信を傷つけてしまったり、ひいては子ども達にまで影響してしまうものです。
子どもと真剣に向き合うことが大切なのは言うまでもない事実ですが、「子育て」という概念との上手な向き合い方について考えてみましょう。
今回のポイント
この記事を最後まで読むことで以下についての理解が深まります。
- 子育ては尊いものでも、神聖視にはリスクがある
- 神聖視することによる具体的なリスク
- 子育てとの上手な向き合い方
では、さっそくいってみましょー!
子育ては「尊いもの」、でも過度な「神聖視」はリスクも
子育ては、すべての生命、そして人間にとってとても「尊い」営みです。
このことは誰もが感じていることだと思いますし、保育士である僕は人より少し深くそう感じています。
そして実際にお子さんを育てている皆さんは、そんな僕よりもずっと子育ての尊さを実感していることかと思います。
ですが、時折そうした考え方が極端になってしまって「自分で自分を苦しめているんじゃないかな?」そう感じてしまうママパパに会うことがあります。
また極々少数ではありますが、ネットの中ではそうした考えを無自覚に押し付けて他のママパパにまで辛い思いをさせているような人を見かけることもあります。
このブログでは、「子育てをしているママパパが少し肩の力を抜いて、子どもとの関りを楽しめる」ようになることを目的にしています。同時にそれは僕の保護者支援のスタンスでもあります。
その観点から言うと、僕は子育てを「神聖視」し過ぎてしまうことは、ママパパの負担をいたずらに重くしてしまうリスクがあるのではないかなと思っています。
子育てを過度に「神聖視」するリスク
少し昔には子育てを神聖視することで、今ほど物も知識も潤っていなかった時代に、命を繋いでいくことに大きな意味があったのだろうと推察します。
ですが今は物が溢れ、医療や福祉が発展し、そうした価値観であったり「子育てとの向き合い方」そのものも変化しているのではないかなと思うのです。
子育てを過度に「神聖視」することによるリスクには、大きく以下のようなものがあります。それぞれについて簡単に解説します。
- ママパパの精神的な負担が強くなる
- 子育てを嫌いになってしまう
- 他人の子育てを非難してしまう
ママパパの負担の増加
神聖視することによって、常に緊張した状態で子育てと向き合うことは、ママパパの肉体的な負担、そして精神的な負担を強くしてしまう危険があります。
自分の子育ての一つ一つが正解なのか?子どもとの向き合い方は間違っていないだろうか?自分は親として失格なのではないか?他人と比べて自分の子育てはなんて拙いんだ・・・
こんな考えが日ごろからあって、そうした責任感や考えによって辛さを感じているのなら注意が必要です。少し肩が強張りすぎているのかもしれません。
子育ては尊い営みですが、あなたの心や生活を全て犠牲にするような覚悟で臨むものではなくて、自分を大切にしながらお子さんを大切にすることが大切なのだと思います。
子育てを嫌いになってしまう
過度に緊張した状態でいることは、すごくストレスに感じますし、そもそも人間はずっと緊張を持続できるようにはできていません。
適度に緊張の糸をほぐす必要がありますし、ずっと緊張していてはいつか必ず糸はプチンと切れてしまうものです。
そして、いつしか子育てそのものに苦手意識を持つようになったり、子育てが嫌いになってしまうことにも繋がりかねません。
子育てが嫌いになってしまうと、本来であれば大切にしたかったはずの子ども達につらく当たってしまうようになったり、育児放棄や虐待に発展する危険もないと言い切れません。
他人の子育てを非難してしまう
子育ては「神聖なもの」だ!という考えが、自分の子育てに対してのものであれば、良い方向に進むケースもあるのかもしれません。
ですが、その考えが大きくなりすぎてしまうと、他人の子育てを見る目も自然と厳しくなっていきやすく、いつかは他人の子育てを批判したり、非難してしまうようなことに繋がってしまうことがあるかもしれません。
子育ては各家庭によって、環境も考え方も事情も様々です。
それは、外から見えることもあるかもしれませんが、多くはその家族にしか分からないことです。
なので子育てというのは、それぞれの家庭に合ったものが、最良の子育てなのだと思います。
であるにも関わらず、よく知りもしない他人が、自分の考えをだけで価値観を押し付けるようなことがあってはいけないですよね。
子育ての価値観は「社会」、「家庭」、「個人」で異なる
改めて言いますが、子育ては真剣に向き合うことが大切で、とても「尊い」営みです。
ですが、そうした考えが過度にいきすぎてしまって「神聖視」してしまうと、それはママパパ自身にとっても、子ども達にとっても、周りの人にとってもリスクが生じる危険があることが分かったかと思います。
では、子育てとの上手な向き合い方というのはどういったものなのでしょうか?
僕が思うのは、社会にとっての「子育て」と、自分にとっての「子育て」、他の家庭(ママパパ)にとっての「子育て」をいっしょくたに考えないことが大切なのかなと思います。
社会にとっての「子育て」は国家の維持であったり、生産性の観点などもあって、社会もちょっと手伝うから子育てには責任感をもって取り組むべきです。というものだと思います。
それは確かに正しいことだと思うのですが、それを個人レベルで日ごろから意識する必要性はあまりありませんよね。
そして、他の家庭にとっての「子育て」というのは、環境も考え方も事情も様々で、他人が関与するようなことではありません。もちろん虐待などが見られるようなケースでは、行政に連絡をする形で積極的に介入すべき時もあります。
つまり、「子育て」というのは、社会にとっての価値観があり、家庭それぞれの価値観があり、ママにとってパパにとっての個人の価値観が同時に存在するものだということ。
それを忘れないことが大切なのかなと思います。
子育ての尊さを感じながら自分も子どもも大切にする
今回は子育てを過度に「神聖視」することによるリスクについて解説をしてみました。
大切なのは、子育ての「尊さ」を忘れないようにしながら、自分の家庭の子育ても他の家庭の子育ても尊重しあっていくこと。
そして、お子さんを大切にするのと同時に、自分自身もパートナーのことも大切にしていくことなのかなと思います。
この記事を読んで、少しでも肩の力を抜くことができる人がいれば良いなと思っています。
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では、今日も1日おつかれさまでしたー!!
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