「母親」と自分という「個」、保育サービスが抱える課題について雑談【day41】

この記事は約10分で読めます。

 子どもを保育施設に預けたいけれどちょっと不安・・・

 人に自分の子どもを見せるなんて考えられない・・・

 安心できるサービスが見つからない・・・

 こんなことを思ったり、今まさに不満や不信感を感じているママやパパもいるのではないでしょうか?

 そして、現状の保育サービスが、本当の意味で子育て家庭の安心につなげることができていない部分があることに、危機感を持っている保育従事者や保育施設・サービス運営者の方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 今日は、子どもを守りたいという「母性本能」と、現状の保育サービスが抱えている課題について、本当に個人的な考えとか思いを吐露したいと思います。

 もし、興味あればお付き合いくださいね。

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今日のポイント

 この記事の注意点!

  • あくまでもRyU先生の個人的な見解(独断と偏見を含みます)

 この記事を読むことで以下のことについて理解が深まります。

  • 子どもを預けて育児から離れたいと思うことは悪くない
  • 子どもを自分以外に見られるのが嫌という気持ちはおかしいことではない
  • 現状の保育サービスに欠けている「透明性」と「ICTの有効活用」について

 では、つらつらといってみましょー!

子どもを他人に見られたくない「母性本能」と「ちょっと育児から離れたい」という当然の気持ち

 はい、みなさんこんにちは!男性保育士のRyU先生です。

 今日は、いつもの解説とは異なり、ほとんど雑談の様なものになります。なので、いつも以上に肩の力を抜いてお付き合いいただければなと思っています。

 4日前くらいに、大阪に住んでいたころの友人たちと、通話しながらオンラインでボードゲームをして遊んだのですが、5年以上ぶりくらいになる友だちとも久々に話すことができました。

 そんなことがあって、大阪にいた専門学校~保育現場の10年近くについて思い出にふけっていると、ある一つの思い出が強烈に蘇ってきました。

 それは、専門学校の時の同級生の女の子と、卒業してから5年近く経った後で、共通の友人も呼んでの会食の時のこんな会話でした。

 その頃は僕は保育現場にまだ居て、共通の友人は児童デイサービスに勤めていて、そしてその女の子は結婚して専業主婦になりお子さんが3歳になっていました。

その時の会話の一部

「専業主婦として、子どもと過ごすのってやっぱり凄いよね。 
 お子さんのことすごく大好きなのが伝わってくるんだけど、それでも旦那さんとデートしたり、ちょっと育児から離れたいって思うことないの?」

 と、僕は聞きました。

 実際に育児をしている人の気持ちを聞けるのって、すごく貴重ですし、僕としては個人的に興味があったことでもあります。

 そんな僕の質問を、その友だちは真剣に受け取ってくれて、ほんの少し言葉を選んでこう答えてくれました。

「確かに「ちょっと育児から離れたい」と思うことはあるかな、でも私は子どもといる時間が今は一番楽しいし、それに旦那も含めて「自分以外に子どもを預けるのがなんか嫌」なんだよね・・・・・・」

「育児から離れたくなる気持ち」と「子どもを自分で見たい」という気持ちは共存しても良い

 この時の会話で僕は、どれだけ子どもが好きで、子どもとの時間を楽しく思えていても「育児から離れる」ことには少なからず思いがあると知って、

 その友人の見せた母親としての責任感や抱擁力といった「母性本能」の、その力強さを見せつけられた様な気がしました。

 その友人は当然のことを言っただけでは?なにが衝撃的だったの?と感じた方もいるかもしれませんが・・・・・・ちょっとうまく言語化できないかもですが。

 あくまでも「母親」は、子どもを生んだ女性に与えられる「社会的な役割」であって、子どもを産んだ「その女性」が「母親」に生まれ変わるではないということの再認識をして。

 「母親」という社会的な役割を全うする為に、子どもを他の人間に見せたくないという苛烈な気持ちを含めた、子どもを守りたい、愛したいという「母性本能」が働いているんだなと感じたんですね。

 この「母性本能」が働いて、「母親」という社会的な役割を全うしようと思う

 というのが、僕はすごく重要なことであって、母性本能の働きを取り払った中には当然のことながら女性の「個」としての欲求や意思が存在しているんだなと、感慨深く感じたんです。

ロールレッサ
ロールレッサ

・・・・・・

なに言ってんだこの人?

RyU先生
RyU先生

ーー!!

 ごほん。えー、結局何が言いたかったのかというと、

 「子どもを自分の手で育てたい」という母性本能による欲求と、一個人一女性として「育児から少し離れたい」と感じたり、自分の時間や夫婦の時間を求めてしまう「個人の当然の欲求」は共存しても良い。んじゃないかなということです。

自分の育児の姿勢に不安がある方へ

 「人に見てもらいたくない」とまで考えてしまうことだって『特別な感情ではない』し、そう感じている人もいるし、そこまでは感じていない人もいるので、自分の育児が潔癖だと感じたり、人間不信をしてしまっているのではなんて不安にならなくて良いんです。

 一方で、母親という社会的な役割を与えられていても、自分という個性や欲求が無くなることはあり得ないので「ちょっと育児から離れたい」と思うことや、

 「仕事がしたい」、「趣味がしたい」、「夫婦でデートがしたい」、「友だちと旅行に行きたい」と考えること、そう行動することも「母親失格」なんてことは当然ないわけです。

 これは捉え方次第では、僕が母親という役割そのものを軽視しているように感じて、ちょっと読んでいて苦しくなってしまった方もいるかもしれません。もし、そんな方がいれば申し訳ありません。

 でも、僕は決して母親という社会的にも重要なその役割を軽視しているわけではなくて、もしかしたら母親という責任感で「自分」を知らず知らずに軽視してしまっている方が、少なくはない割合でいるような気がして、それを危惧しているのです。

現状の保育サービスに欠けているもの(独断と偏見)

 友人との会話の中でもう一つ気になったのが、『旦那も含めて「自分以外に子どもを預けるのがなんか嫌』という率直な意見かなと思います。

 これは、少し大きく解釈すると、現状の保育サービスは実際に子育てをしているママパパにとって「信用できていない」、「なんだか不安」なサービスにしかなれていない。ということなのかなと思います。

 ここからは特に独断と偏見になるのですが、現状の保育サービスに何かしら欠けているものがあると仮定した場合に、僕が思うのは「透明性」と「ICTの有効活用」という課題が大きいのではないかなと考えています。

保育サービスの抱える透明性という課題

 保育施設というのは、『家庭に近い環境のもとで子ども達が安全に楽しく集団生活をする場』です。

 また、ベビーシッターや託児所も、それぞれ利用者の家で、限られたスペースの中で『少人数の子ども達を安全に見守るサービス』と言えます。

 施設と家庭、サービスと家庭という限られた社会である為に、なかなか業務やサービスについて外から見ることが難しくなっています。

 加えて、児童のプライバシー保護の観点や、リラックスして生活ができるようにとした配慮によって、カーテンが絞められていたり、曇りガラスで施設内を覗き見ることができないようになっていて、物理的に内部の様子を知ることも難しい面を持っています。

 保育というサービスも、第三者の評価がとても難しく、実際に預けている保護者であっても、日中の様子をすべて知ることはできません。

 『閉鎖的な構造の施設・サービス』であり『物理的に遮断』をする必要があり、『サービスの客観評価が難しい』という、透明性の課題をすべて満たしてしまっています。

 もちろん、そのままにしているわけではなくて、保育参観や保育体験によって、日中の様子を実際に見てもらったり、託児所などでは日中もカメラで様子を確認することができる時間があったり、第三者評価として地域を管轄している役者の職員による定期的な監査が実施されています。

 ただ、それらが全て正しく機能していたとしても、やはりまだまだ『透明性』の課題は山積みかなと感じざるを得ません。

ICTの活用は様々な課題にアプローチできるか? 

 多くの先進的な経営者が保育にICTを取り入れ始めています。

 また、「ルクミー」、「コドモン」など、保育サービスの補助を目的としたサービスの一部は、多くの施設で既に取り入れられています。

 そして、保育士の負担の軽減や、子ども達の安全性の向上であったり、園と家庭との連絡の簡略化に貢献してくれています。

ICTとは?

  ICTの解説として、コトバンクから一部引用して紹介します。

 

ICT(Information and Communication Technology)は「情報通信技術」の略であり、IT(Information Technology)とほぼ同義の意味を持つが、コンピューター関連の技術をIT、コンピューター技術の活用に着目する場合をICTと、区別して用いる場合もある。

ICTとは – コトバンク (kotobank.jp) 一部引用

 つまり、インターネットやコンピューターを介した技術全般をICTと言うということです。

保育におけるICT化の例

 では、保育に限定してICTについて少し紹介すします。

 例えば紙の書類やお便り帳を、パソコンで記録するようにしたり、連絡帳のやり取りもデータ上で行うことができるようにしたり、すでに多くの業種で取り入れられているこうした技術も、保育施設が進めなければならないICT化の一つです。

 子ども達のお昼寝の時には、うつぶせ寝や基礎疾患、同居者の喫煙などのいろいろなリスク因子も関与しながら、突然に命の危険がおよぶ「乳幼児突然死症候群(SIDS)」というものがあります。

 SIDSを防ぐためにもICTを活用することが可能で、すでに実際に衣服や敷布団に装着するタイプの小さい機器を取り付けることで、寝ている姿勢の記録や、異変があった時にアラームで報せてくれるデバイスが実用化されて、保育施設でも使われています。

 ICTを有効活用することで、職員の負担軽減、子どもの安全性の向上、保護者の負担の軽減、園と家庭との連携強化、など、様々なメリットがあるんです。

 そして、ゆくゆくは、子ども達のプライバシーに配慮しつつ第三者や、保護者がより注意深くサービスを評価できるようなシステムを開発されるのではないかと思います。

 そうすると、もう一つの課題だった『透明性』の向上にも貢献していくかもしれません。

母親像はそれぞれで良いし、日本の保育は悲観するほど悪くもない

 いやー、何かの解説をする時って、知識としての正解があって、それをどう活用して効果的に使うのか、心身の負担を減らすのかを考えるので、ある程度道筋が決まっているんですけど。

 今回みたいに、自分の思いや考えを伝えるのって、難しいですね。このボリュームでも2時間くらいPCの画面とにらめっこしてしまいました。

 大阪の友人との会話で感じた次のこと。

「子どもを自分の手で育てたい」という母性本能による欲求と、一個人一女性として「育児から少し離れたい」と感じたり、自分の時間や夫婦の時間を求めてしまう「個人の当然の欲求」は共存しても良い。

 これは、母親としての責任感に押しつぶされそうな人や、母親として失格なのではないかと辛くなっている人に、これからも伝えていきたいなと思います。

 もう少し、かみ砕いていけるようにしたいですけどね。

 最後に、日本の保育サービスについてまとめて終わります。

 なんだかんだと課題について書きましたが、解決が急務な事案ももちろんあるけれど、ICT化の促進や透明化の向上は、今よりももっともっと良いサービスを目指す為の課題でもあります。

 ときおり、耳を疑うような事件が保育施設や、シッターサービスなどであったりもしますが、それはごく一部であって、日本の保育サービスは悲観するほど質が低いものではないと思っています。

 もちろん、ごく一部でも実際に異常な事件事故があることは、保育に関連した活動をしている僕をはじめ、保育従事者や、保育施設の運営者は重く受け止めて、再発防止に努めなければならないことです。

 ということで、これからも子育てに関する解説記事や、こんな保育者って何を考えているのかみたいなことも、この「毎日子育て小話」で伝えていければと思います。

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